ル  油断大敵
 
妻、倒れる!!
イスへの到着日、チューリッヒのホテルには夕方6時前にチェックイン。この夕方は去年ロイカーバートのホテルで一緒になったAさんが夕食を一緒にと迎えに来てくれる手筈になっていた。

程なくしてフロントからAさんの到着の電話。妻はシャワーを浴びしている。「15分位待って」とフロントに伝言をお願いし、急いでオメカシ。でも結局準備に20分以上かかってしまって、恐縮してフロントへ。そこには懐かしいAさんご夫妻の顔が。

早速、Aさんのベンツにてチューリッヒ湖畔のレストランへ。夕暮れの風景が素晴らしい。Aさんの息子さん夫婦も同席され、奥様は日本でのホームステイの経験ありとの事。料理を注文した後、早速、乾杯!!美味しいシャンペン。続いてワイン。私は元々飲めないが、妻は「おいしい、おいしい」と結構グラスに口を付けている。久しぶりの話も弾む。
いや、弾むとはいってもこちらは片言の英語とドイツ語(妻のみ)なので、もっぱら聞き役となるのだが。

ところが、料理も進む中、妻が急に「ちょっと気分が・・・」と言う。おいおい、飲みすぎたか?少し楽にして休むが、その内、意識がハッキリしなくなって来た。「コリャ、ダメだ」とAさん経由でレストラン内で横になれる場所をお願いする。幸い吐き気はないようだ。完全に意識がなくなったので椅子ごと室内に運び入れて、部屋の隅のベンチに横たえる。しばらくすると意識も戻った。

さすがにAさんは心配して「ドクターを呼ぼうか?」と仰ってくださっているが、実はよくあること。以前、サンモリッツのホテルでも倒れて、この時はホテルドクターのお世話になったという前科もある。なので暫く横になれば大丈夫とそのまま1時間位寝かせておいた。

私は又席に戻って食事の再開、またまた話が弾む。デザートまでしっかりいただいてレストランを立ったのは夜12時近くだった。

教訓 疲れている時には無理をしない 調子に乗って酒を飲まない。

 
スイスパスを日本に忘れて来た!!
スイス到着の翌日、後日の氷河急行の座席予約をしようとチューリッヒ駅に出向く。番号札をとって順番が来るのを待っていると妻が「あれ、スイスパスは・・・??いやだ、家に忘れて来たかしら?」「よく探してみ〜」「・・・やっぱりないわ」「オイオイ・・・」。

スイスパスと言うのはスイスの交通機関乗り放題の券で普通は日本で購入してから持って
いく。私も二人券を購入してあった。

スイスパスはいざとなればチューリッヒ空港駅に行けば購入できそうな事は知っていたので、私の方はそれほどパニックにはなっていないが、妻の方は青くなっている。
一端外に出て荷物を預け、このまま空港駅に行こうとも思ったが、念の為に「EXPRESS INFORMATION」に並び聞いてみる。「スイスパスを忘れて来た」と言うと「ワオ」と明るく対応してくれる。こう言う時に明るく対応してくれると心が軽くなる。そして番号札をくれ、「中で待て」と。

順番が来て係の人に忘れて来た旨を言うと「再発行は出来ないが新しい券は販売できる、使っていないものは日本で払い戻してもらえるはず」と。こうして、新しいスイスパス(赤い横長のケース)を手に入れることが出来てほっと一安心。

教訓 慣れは禁物。準備確認は周到に。

 
乗り継ぎ便間に合わず!!パリに一泊!!
今回は1カ月程前に出発日、帰国日を1日前倒しの変更を行った。この為、当初は行き帰りともにチューリッヒ直行だったものが帰りがパリ経由になった。
スイスで最終日(8月9日)、THUN湖の素晴らしい船旅を終え、空港には時間通りに到着。スイスエアのパリ行きを待つ。

ところで出発ロビーで待っているときに案内テレビを見てみると、われわれの乗るパリ行きの搭乗口番号が掲示されていない。そのうちに遅延と搭乗口変更の案内があった。遅延時間は未だ明らかになっていないがパリでの乗り継ぎが微妙だ。今回はパリでの乗り継ぎ時間を1時間強しかとっていない。それにだいたい搭乗する飛行機が未だタラップに横付けもされていない。

さっそく係の人に聞いてみる。係の人曰く「確かにシビアーだ。しかし、パリからのJALも遅れる事も予想されるし、場合によっては待ってくれるかもしれないので、このままパリまで行くのがベターだろう」と。

そのうち、飛行機は到着したが遅れが1時間以上になる事が明確になった。ここでJALの事務所に電話してみる。「乗り継ぎが出来ないみたいなので明日のチューリッヒ発に変えてもらえるか?」「特別に変更は出来るので一応仮予約しておく。しかし荷物を下ろさないといけないのでスイスエアの人と交渉してみてくれ」と。

再びスイスエアの別の係の人に聞いてみる。「では、トランスポートの窓口に行ってくれ」。そこでセキュリティーエリアを逆行しトランスポートの窓口にいく。たくさん人が並んでいてこれではどうなることやら、と思っていたらアナウスで名前を呼び出してくれている。どうやらさっきの係の人から連絡が入ったみたいだ。スイスエアも親切である(とこの時は思った)。女性の係曰く「JALには間に合わないがその後今晩2本成田行があるのでそれに乗ることができる。従ってパリに飛んでくれ」念の為に便名をリストしてもらうとをANAとAFが確かにある。特にAFまでは3時間以上の余裕がある。

再び搭乗登場口に向かうともう搭乗が始まっている。一応JALにキャンセルの電話してみるが話中で通じず、そのまま機上の人となる。

パリに到着すると降り口に掲示板を持った人が立っている。その掲示板の一番上に我々の名前が書いてある。さすがだ(と思った)。同じJALに乗り換える人はないくて他はANA乗り換えだがそれでも1時間を切っている。われわれもANAに乗れるのか、と一安心と思いきや、われわれだけスイスエアのカウンターで切り離される。

スイスエアのカウンターで再び乗り継ぎ出来ない旨の話と他の便に乗り継ぐ為にはJALのカウンターに行きチケットに判子をもらって来てくれ、と。スイスエアはAブロック、JALは反対側のFブロックにある。ともかく係の人が「どんどん歩いていけ」と言う。ご存じの方も多くいらっしゃろうが、このパリのドゴール空港は広いのだ。行けども行けども到達しない。連絡バスがあったのだが、多分、係の人は「この着いたばかりで訳の分からない日本人をバスに乗せたらどこに行くかわからない。あるいて行ってもらった方が彼らの為でもある」と優しい心遣いだったのだろう。

ようやく一番はじっこのJALカウンターが目に入る。しかし、最終便も飛び立った後なので誰もいない。「誰もいないよ〜どうしよう」壁に連絡の電話権号が書いてあるがコインもなければ電話の仕方も知らない。
ふと見るとカウンターの一番隅に小さな電話器がある。緊急時の何たらと書いてある。受話器をとってみると日本人の係員が出た。良かった、これで話が通じる。(と思った)

事情を言ってこの後のAFに乗り換えられないかと尋ねる。しかし、われわれのチケット(悟空)は他社の便への乗り換えが出来ないと言う。仕事の都合があるので、どうしても明日のチューリッヒ発に乗りたいので変更をお願いするとそれは了解してもらえた。ではこれからチューリッヒに戻れるか?と聞いてみるとそれは時間的に無理だとの答え。この時点でパリ宿泊を覚悟し、後は明日のチューリッヒ行きとホテルを確保するのみとなったが、それは「お客様自身でスイスエアと交渉なさって下さい」とのありがたいお言葉である。

また、来た道を延々と歩き再びスイスエアのカンターへ。JALの話を伝えると直ぐにホテルの手配をしてくれる。しかし、どうも揉めているらしいのはチューリッヒへの戻りの便の料金の事らしい。こちらとしては最悪自腹を覚悟しているが、2〜30分程係員が数名寄り集まってペラペラと話している。JALにも電話している。ようやく航空券が発行されると事になったようだ。さすがスイスエアだ。本来であればこのままパリで次の日のJALに乗ればよいのだが、戻りの航空券を発行してくれた。

しかし、まだまだ不安は納まらない。ホテルのバウチャーや航空チケットを貰ったのはよいが「果て荷物は何処に?」「ホテルにはどうやって行けば?」「両替はどのくらいやっておけばよいの?」と分からずだらけ。以下、子細省略するけど、翌日のチューリッヒ行きも少々遅れ、最終的にチューリッヒのJALカウンターでチケットをもらった時は正直ほっとし、離陸した時は拍手ものであった。

教訓。乗り継ぎは十分余裕を持って。

今回はいろいろ油断があった旅だった。終わってみれば笑い話でけど、その時はみんな必死だった。文章中では会話もスラスラと見えるけど 実際は相当の苦労をしてようやくそれなりの理解に至っている。それでも誤解も多々あり、語学力の向上も死活だ。(しかし のど元過ぎれば・・・・)。又、来年はどうなることでしょう。