上海の古い建築物

  外灘、教会堂以外の古い建物です
網羅的ではありません
(訪問・撮影:2011年、2012年、2013年、2014年)

<>内は現在の名称・用途、年代は建築完成年

法国総会    1924~26年
<花園飯店、ホテル・オークラ>
元はフランス租界内のフランスクラブ。 現在は「オークラ ガーデンホテル上海」。 客室は背後の高層ビルにある。旧館のエントランス部は現在はメインとして使用されていないので、むしろきれいに保たれている。


花園住宅  1937年
英国による庭園邸宅だが子細は不明。建物には前庭・噴水があるが建物自体に近寄ることは規制されている。
メトロポールホテル
<メトロポールホテル(新城飯店)> サッスーン財閥が建築。凹型に湾曲したファサードが面白い。様式としてはアーリーアメリンカン風。

アメリカンクラブ
アメリカ商工会議所
<市人民法院>1923~25年
米国による建築。ギリシャ神殿風の柱と梁はあるが全体はアーリーアメリカンスタイル
普益地産公司  1921~22年
英国による建築。太い柱はドリス様式。
名称不明
凱旋門風ビル
どこかの凱旋門の様な立派なスタイル。4本の独立柱はコリント様式普通の住居として使われているところがスゴいが住んでいる本人にとっては単なる古いビルか。
大世界(ダスカ)  1917年建築、1925年塔完成
当初はフランス租界にあった娯楽レジャービル。 訪問時は一部が使われているだけで全体は修復中のような感じであった。 塔は55メートルあり、当時は目立ったのだろうが、 現在は付近のビルや横断歩道橋などの中であまり目立たない。

正面上部は1階の太い柱の上に3階ぶち抜きの柱という派手な設え。 柱の柱頭はイオニア式似であるが、その上に中華風の模様を設けた短い柱部分があり、ちょっと短く、建築様式的には落ちつかない形状。 窓部は三角形のペディメント風の装飾がされているが深みはない。 壁の装飾もなく、正面の柱配置以外はあっさりとしている。

上海市郵政総局  1925年
<上海郵便博物館、上海市郵政総局>
蘇州河と美しい四川路橋の向こうに郵政総局の建物がある。 バックの高層ビルは何とかならなかったのかとは思うが この付近は外灘とつながる河川脇広場として整備されている。 外灘は人で一杯だが、歩いて10分程度のここまではあまり人も来ない。
建物は4階建てで角の時計台が印象的。 塔や壁の装飾等丁寧に作られている

柱は3階ぶち抜きのバロック調様式、この柱の並びは見事。 柱頭は遠目にはコンポジット式にみるが実際には渦巻きの代わりに中華風の模様。 しかし、その上のコーニス(柱上帯)の細工も含め、ここも丁寧に作られている

建物内部はどこまでがオリジナルなのかどうか不明だが 階段の柵や天井の装飾模様などが美しい。

東方飯店  1929年
<上海工人文化宮>
租界時代はホテルだったが現在は文化ホール等として使われている。側面は確かにホテルの客室風の並び、正面は大オーダを使った派手さ。
 <黄浦区中心医院>
子細は不明だが赤い色合いと角の正面には二本の柱で作れた入口、その上の二階のディオクレティアヌス窓、縞の入った太い柱風の様式など手がこんでいる。
工部局  1921年
<上海市薬剤有限公司、他>
工部局は各国租界の運営体として 建築、警察、消防、徴税などを担った。凹型で2本のイオニア式大オーダを備えた正面部。側面も2階はエディクラ(小神殿)風の窓が並ぶ。3階窓は平凡だが、張り出したコーニスの上に4階にはディオクレティアヌス窓(浴場窓)が整然と並ぶ。

<上海科学染料有限公司、他>
黄浦区礼拝堂の北側のビル。恐らく租界時代のビルだろう。長屋風に日常の中で使われている。この二本のドリス様式の独立柱は立派。
 <上海国際商品拍売有限公司>
租界時代よりは後の新しい建物と思われる。2階以上は古典主義の様式を踏襲した。三角のペディメントとその下に並ぶ。象徴化された付け柱(アタッチドコラム)。
永年人寿保険公司    1910年
<中国民生銀行>
黄浦区中心医院の南側にあるビル。1階はルスティカ仕上げ風、二階以上はバロック様式的な造作。アーチの各窓の小神殿風の作り(エディキュラ)、壁や桟の装飾等賑やかに凝っている。

<新康大楼>
1階はルスティカ仕上げ風、
2、6階にはディオクレティアヌス窓(浴場窓)が並び、4階にはブロークンペディメントを被せた小窓が並ぶ。一応、租界時代のものだろうか?
 <上海商業活動有限公司>
2~4階をぶち抜くコンポジット式の大オーダ。しかも内側にねじり柱を具備し、小さいながらも装飾多いペディメントを掲げる。租界時代の建物だろうがエアコン室外機と共存。
 大北電報公司    1922年
<上海電信博物館>
英国租界の通信業務ビルとして使われたものだろう。その後の中国の通信ビルとして使われ、現在は博物館に。訪問した時は月曜の休館で入館できなかったのは残念だ。建物はルネサンス風の端正なスタイル。

国泰大戯院
キャセイ・グランド・シアター
1932年
<国泰电影院・キャセイシアター>
上海ユニクロの前にあるビル。仏租界の中にあった娯楽施設だが今も現役の映画館として継続している。
 三菱洋行上海分店  1914年
黄浦区中心医院の東側にあるビル 。敷地も狭いので大柄な作りではなく主に壁の装飾としてルネサンス的、バロック的ないくつかの建築要素が刻まれている。現在は再開発中のようだ。
中ソ友好記念館  1955年
<上海展覧中心>
同じ共産圏であったソ連の手による設計なので全体にソ連っぽい。現在は展示会・セミナー会場として使われている。
北側の出入口には立派な独立コラムが並ぶ。この部分はあまりソ連っぽくはない。柱頭は星印も入ったオリジナルスタイル。
 南面は完全左右対称の派手なデザイン。中央のえぐれた部分の螺旋模様柱とその上の巨大な塔がソ連っぽさを演出。



像は黒いので目立たないが柱・壁の装飾は派手。透かしの金属模様も繊細で美しい。
 屋上直下のエンタブレチャ(梁)はその下の短い柱と共に細工が細かい。両脇の塔はパラディオ様式窓の形状の2本のペア柱とアーチに支えれている。
渡り廊下。こんな大がかりな屋根は不要なのですが中国、ソ連ともに大きなものが好きな国民性。
 飾り。麦の模様はオリジナルなのだろう。中国の模様とは全然異なる。
永安公司  1918年
<永安百貨>
建物は欧州に見られるような最上階下に庇を持つ形。中間階にはペディメント形の装飾を持った窓が整然と並ぶ。全体的にルネサンス様式の様な左右対称、整然配置がすっきりとしている。

上海服装商店    1917年
<上海時装商店、東亜飯店、皇冠娯楽城>
元の建物は3階建て位で、その上は1978年の増築らしい、確かに造作が違う。現在はいろいろな店が雑居状態で、南東端にはFANCLEの大きな広告塔がある。上海の古いビルには建物の角や中央などに小さな塔やクーボラ(屋根が丸型)、タンタン(角型)と呼ばれる小屋根があることが多い。これは上海ばかりでなく、昔の東京の洋館の写真などでも多用されているのが分かる。ちょっと目を引く人気の建築アイテムだったのだろう。



上海レースクラブ・ハウス  1933年
<上海美術館>
この建物の東側に広がる人民公園は租界時代は競馬場だった。この建物はそのクラブハウスという事で租界の欧米人が集ったのだろう。全体にゴツゴツとした建物でいろいろな建築要素が混ざっている。

南京大戯院  1930年
<上海音楽庁>
きれいなので改修の手は入っているように見える。正面入口のコリント式の2本柱が白亜でうつくしい。当時としては巨大な音楽ホールだったのだろう。

瑞金賓館 1919-30頃
<上海瑞金洲際酒店>
元はイギリス人ヘンリー・モーリスの邸宅と庭園。何様式とは言い難い2階建ての洋館が数棟ある。後年の改変が結構入っているようで、近年も大規模なリストアが行われ、ホテル・レストランとして利用されている。


 

●○●訪問・散策のコメント●○●
・掲載の建物以外にも数多くの租界時代の建物がある。保存対象ビルには銘板が掲げられているので多少は分かり易い。
・地域は広がっているので一日では見切れないが、徒歩で散策するのがベスト。
・外観撮影については警察署などを含め、特に注意を受けたところはない。一般ビルの内部については中国語を解する人が一緒でないと撮影はもとより立ち入りも難しい。
・狭い道も多く、歩道があっても店が広げてあったり、駐車していたりで撮影に気をとられ過ぎず注意して歩く。
・街路樹はプラタナス等の落葉樹であるので建物撮影は冬の方がベター。