天津  
租界の洋館)  Tianjin

天津には19世紀後半から20世紀前半にかけて、仏・米・独・伊・日・露・オーストリアにより租界が設置され、 中国で最も租界の国数が多い都市となり、また、一方貿易の盛んな港街だった。 映画「北京の55日」の背景となった1900年の義和団の乱では外国連合軍が天津より北京に進軍し乱を鎮圧し、 ゆくゆくはそれが清朝の滅亡を招くことになった。

日本との地域的距離も近く、国交復交後は多くの日本企業が進出の足がかりとした街でもある。 現在は北京の一大衛星都市、港を持つ都市として大開発が進行している。

租界地区には当時の多くの建物が現存しているが、 上海や厦門などに比べるとそれらの観光的活用は進んでいない。 この先も観光資源化となって行くのかどうかは今一つ不透明。 少なくとも状況を見る限り、そんなに熱心には復興・活用が行われていないように見える。

訪問・撮影:2012年3月


北京南駅構内
列車発車時刻になるとホームゲートが開く。それまでは飛行場の待合所のように並んだ椅子に座って待つ。JRの駅よりよっぽど乗客の安楽を考えている。

北京~天津間は高速道路でも列車でも1時間半位はかかったが新幹線が出来てからは30分で行けるようになった。通常席でも足置きがある。車内に速度が表示されており、最高は290/h位だった

天津駅
天津には在職中に何回もいったが天津駅着は初めて。駅の中も駅前広場も中国仕様でやたらだだっ広い。駅前を歩いている人は北京に比べると明らかに田舎っぽい。

駅前の開発はこれからで新しい高層ビルは少し離れたところに立っている
駅前にある「解放橋」を渡ると租界が始まる。そのまま道に沿って約1.2Kmがメイン。
帝国飯店1922年
(現・裕中飯店)
イオニア式の柱に支えられたアーチの玄関が印象的
华俄道胜银行  1896年
ルネサンス的な規則的配置の窓が特徴的。黄色の壁面もきれいでクーポラも目立つ。入口はコリント式の2本の柱で支えるが目立たない。
法国(フランス)工部局  1934年
東京駅などにもみられる茶と白のレンガの組み合わせがフランスっぽい

盐业银行1928年

(現・中国工商銀行) 
柱頭は何やら中華風の模様になっているが太い列柱が見事。特に正面入口の造作は力強い。しかし、その柱の台座部分に大きな表示とその上のエアコンは何とかかならんか?

側面でも柱の後にエアコンが見え隠れしている。こういうところが天津がまだ本気になっていないというか田舎っぽいというか・・・
天津市拍売総行
歴史建物ではないと思うがオージアーチ風の一階窓がユニーク

天津郵政儲蓄匯業分局  1945年
太平洋戦争終戦直後であるので日本が建設し残ったものだろうか?平屋てあるがイオニア式柱の玄関。その上に三角形のヘディメントを作る予定だったのが途中で終わっているようにみえる

东方汇理银行 1912年

 (現・西洋美術館) 
いろいろな西洋の建築要素が詰まった賑やかな建物。左右の塔風の部屋の屋根は中華風。

朝鮮銀行  1918年
二階ぶち抜きの柱構造はバロック様式のアイテムだが柱自体は特に明確な様式をもっていない。強いていえばドリス式だろうが、柱の柱頭の上に細い台?を乗せ、浅いアーチが付けられるなど柱と上の構造物が遊離した形に見え、力強さは生かされていない。

大清郵便局  1844年
(現:天津郵政博物館) 
窓、柱等が極めて整然と配置されたルネサンス様式。今気がついたが、この訪問時期は3月なので、まだ木に葉っぱがついていない。季節が過ぎれば葉っぱが出て来て、折角の建物を半分隠してしまう。日本でも良い建築の回りに直ぐ木を植えてしまうのは困ったものだ。
中法工商銀行 1933年
(現・中国銀行)
立派なコリント式の列柱に囲まれた重々しい建物。柱は独立柱で単なる装飾ではなく、一部加重も受けているようだ。「中法」というのは中国とフランスという意味。合弁銀行だったのでしょうか。
手前は旧横浜正金銀行(現・中国銀行)1899年、
奥は中法工商銀行
この付近は租界時代は天津金融街の中心であり、立派な大型建築が並ぶ。この二つのビルはとりわけ立派で、現在は中国銀行が所有している。横浜正金銀行のこの東面は立派なコリント式の柱が並び、現在は中国銀行とされている。
汇丰银行   1925年
(現・中国銀行)
両面に4本のイオニア式柱と梁、エンタブラチュアを持ったガッシリした作り。南面には更に両サイドに2本のイオニア式柱を持つ。エンタブラチュア(三角形)の上の四角い構造物は不要と思うが無いとちょっと寂しい姿になってしまうかも。ここでもエアコン室外機や何やらのチューブやら張り紙などが気を削ぐ。
中央銀行  1926年
(現・中国人民銀行) 
建物本体の前に4本の柱とその上の梁(エンタブラチュア)を付け加えたような形。建物本体はさして大きな特徴はないが、丹精なスタイル。
四行儲蓄会天津分会1923年
(現・中国工商銀行)
イオニア式の柱、1階はルスティカ仕上げ。2階ぶち抜きの大オーダ、コーナーストーンと小振りながらも全体きれいにまとまっている。
太古洋行  1886年
(現・天津市建築材料供応総公司)
赤と灰色の組み合わせは珍しい。2階窓両脇の小柱は壁に埋め込まれている。様式不明の建物。
麦加利銀行  1926年
柱の柱頭は一見イオニア式に見えるが、よく見ると違。ここも例によってエアコン機器満載。

怡和洋行  1921年
二階分の柱が連なるバロック様式。真ん中の入口部分のみギリシャ神殿風。
小白楼音乐厅  2009年
新しい建築の音楽堂。ギリシャ神殿風出入口、大きなドームと目をひくが、本体が四角いビルなので取ってつけた様なアンバランスがある。
城投ビル  2009年
複数階をまたがる柱、ペアの柱、前に張り出したパビリオ・・・・ゴシック建築の特徴を取り入れたビル。オーダ(柱のこと)は建築物を重々しく、権威付けて見せるので体裁を重んじる中国人には必須のアイテムなのだろう。しかしオーダには規則があって、オーダを積み重ねる場合は基本的には下からドリス式~イオニア式~コリント式と積み上げ更にそれでも足らなくなったら女神柱(カリアテッド)を使う。しかるに、このビルはコリント式を積み重ね、最上階にカリアテッドを置くというイリーガルな構成 。それが目を引き写真として記録した。

 

●○●訪問・散策のコメント●○●
・天津駅から徒歩圏内にある。帰途は疲れたらタクシーで。
・古い建物はこの見学路の左右路地などにもあり、そこまで丁寧に見るとなると一日では済まない。
・ここでは紹介しなかったが民園体育場からスタートする観光馬車(五大道観光馬車)がある。乗ろうと思ったが馬車一台貸し切り売りなので少人数は高くついてしまうので諦めた。、
・音楽庁付近に入りやすい食堂や喫茶がある