西安  Xian 

西安は秦の始皇帝の紀元前二百年前紀元あたり前から
漢~唐の時代に至るまでの約千年間古代中国の都であり「長安」と呼ばれていた
宋の時代以降は都は東方に移ったが、今でも西部の大都市として機能している


兵馬俑坑は1974年、偶然,地元の農夫により発見された
これはツタンカーメン墓などと並び世界の歴史上の大発見の一つだろう。
一部は既に発掘されているが遺産保護の面から手を着けていない所もあり、全体像はまだまだ未定。

訪問は仕事の合間をぬって(あるいはその逆?)行ったので、ほとんど回れていないし
厳寒の冬で、カメラもCanon IXYdigital300(200万画素デジタルカメラ)という初期の機種なので
容量も少なく写真もあまりないので悪しからず

(訪問・撮影:2005年12月)

現在、第一~第三坑まで発掘されている
これは第一坑  東に向いて多くの兵馬俑が並べられいる様子が分かる
馬には轡や手綱が掛けられ
後ろの兵士が握っているが、
革製品などは朽ちて失っている
第三坑
ここは司令部のような場所らしい
衣服や並びが兵士坑とは異なる
等身大の陶製の兵馬俑は一体一体顔、姿が異なる
発掘物は一様に灰色になっているが、実際は極彩色に彩色されていた
上の土を取り除いただけの状態の兵馬俑坑
縦の模様は坑の上を覆っている丸太
丸太は二千年前の物で重みで一様に弛んでいる
この丸太を取り除くとその下に兵馬俑が埋まっている
中央部に何カ所か空いている穴が丸太を取り除いた部分
坑の中には当時のまま整然と兵馬俑が並んでいると想像したが
実際にはほとんどの物が壊れ崩れ土と一体になり埋まっている
それらを集め、元の原形に復帰するのは大変な作業
復帰できたものは右写真の様に並べている
秦の始皇帝陵の近く発掘された一号銅車馬(兵馬俑博物館)
1/2の縮小版らしいが、当時としては最高級の馬車の姿だろう
2200年前の物とは思えない精巧さ
西安は北京、京都などの元になった
碁盤の目型の計画的都市
北京と同様鼓楼(手前)と鐘楼がある
大雁塔(慈恩寺)と三蔵法師像
東京の浅草の様な西安の観光名所
楊貴妃と玄宗皇帝が好んだという温泉「華清池」
現在も湧いているというが、
残された浴場にはお湯は張られていないので真冬の事もあり寒々しかった
楊貴妃像はもちろん近代のもの
いろいろと展示物やいわれがあるが、どこまでが史実なのか?
そう言えば兵馬俑博物館には
兵馬俑坑を発見したという農夫本人が居て購入本にサインをしてくれていた。
その後、この温泉「華清池」に来ると、ここにも発見者の農夫というのが居てサインをしていた。
一体、発見農夫は何人いるの?全部が影武者だったりして(笑)

 

●○●訪問・散策のコメント●○●
・夏は猛暑、冬は厳寒なので観光は春か秋が良いのだろ。
兵馬俑坑~博物館と見て回ると広いので3~4時間程度は最低でも必要だろう。
・今はどうだか知らないが兵馬俑坑の駐車場には大勢の物売りが居て、しつこく付きまとって来たのが閉口。
・西安には秦の始皇帝絡みの史跡・遺跡の他にも千年に渡る歴史の中での数多くの事物や展示館があるので観光ネタには事欠かないだろう。歴史的には日本との関係も深い街だ。