北京円明園

円明園は市街北西部、頤和園の近くにある18世紀に造られた清朝の離宮
広い庭園には多くの池や水路が設備され美しい公園になっている

ここでの見所は公園東北部にある西洋風の建物群「西洋楼」
しかし、この建物群は1856年の第二次アヘン戦争の際に北京へ進攻したフランス・イギリス連合軍により
徹底して破壊されていまい、今はその残骸が広がる廃墟状態となってしまっている
それがかえって過日の繁栄と悲劇を想像させる

ただ、復元計画はあるようで、復元されると大分雰囲気は変わってしまうのでしょう

訪問・撮影は2013年3月

南門付近
大きな公園があるようには見えない
チケット購入して、あとは自由散策
「西洋楼」のある北方向に遊歩道が続く
遊歩道の左右には池や疎水が流れ
早春の柳の芽吹きと桃の花がいい感じ
「西洋楼」に入ると早速このような風景が現れる
左下には半円柱が倒され転がっている
立っている2本の柱はその形で破壊から残ったのではなく
近年積み上げたものと思われる
建物の外壁の一部と推定される
壁には凹型のニッチが設けられており、像が備えられていたのだろう
ここも比較的破壊の少なかった部分を近年積み上げたものと思われる
手前の部分には残骸が半分地面に埋まっている
まだ100年位しかたっていないのにこのように地面に埋まってしまうのですね
以前から遺跡は何故地面に埋まっているのか不思議だったが、
自分の重みとどこからか土砂で思ったよりはやく埋まってしまうようだ
両渦巻きのイオニア式の模様や真ん中に心棒の小穴の空いた石柱の一部
美しい模様を持った壁の一部などが割れてゴロゴロと転がっています
ダイナマイトかなんかで破壊したのでしょうか?
塀で囲まれ復元再建が試行されていると思われるエリア
第二次世界大戦の爆撃で破壊されたドイツの教会や市庁舎なども多く復元再建されているので
ここも元の材料はかなり残っていそうなので復元はやろうと思えばできるのだろう
ここにあった建物・海晏堂のスケッチ図
主にはキリスト教宣教師が設計に携わったらしいが
西洋風とはいいつつ実際は西洋と中華の合体スタイル
建物の手前に噴水があり、その左右に6体ずつ優れた十二支の置物があった
噴水は時間通りに吹き上がり、時計の役割も果たしたらしい
十二支の置物は外国に持ち出さた
近年それらの一部は発見され、中国は10億円払い5体は取り戻した
残りの内の2体はイブサンローラン(社)が所有しており、
「ダライ・ラマをチベットに無事戻すのであれば返還してもよい」と宣言し、物議を醸しだした。
手前のゲートみたい部分は地面に置かれているが
その左右の飾り部分も含め、実際は屋根に近い部分の部材と思う
手前が噴水の池があった部分か?


●○●訪問・散策のコメント●○●
・ゲートは幾つかあるが南門が一般的だろう。タクシーに言えば(紙 に書いて渡せば)そこで下車させるはず。南門から西洋楼までは約2Kmあり。途中は緑も多く池、疎水に沿った風光明媚な平坦な道なので、それほどはきつく ないが天候によっては少々きつい。公園の真ん中あたりと西洋楼入口あたりを接続する有料バスが運行されているので1Kmは楽になる。
・園内の中央に展示館があり、遺物等が展示されている。また、その付近に食堂や土産物店もある。
・園内の治安は良好と思われる。立ち売りもみかけなかった(あまり混んでいない時期だったかも知れない)。メインの観光地ではないので、外国人観光客は少なく、地元の人が多い。
・訪れたときは春先だったので柳が芽吹き、桃の花が咲き始めたところで、あとは黄色のレンギョウ位しかなかったが、もう少し後になると緑が豊かになるだろうが、3月でも既に少々暑く、かつ埃っぽかった。
・頤和園に近いので、効率よく回れば両方見て回れるが、両方とも広いのでどちらも中途半端になる恐れはある。