西欧建築史年表 2022-02-01版 西欧建築史の部屋トップ |
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世紀 |
年号 出来事 |
建築 時代 |
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BC905 王政ローマ発足 |
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BC753 王政ローマ滅亡 |
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BC530 パエストゥムのへラ第l神殿(ギリシャ神殿) |
古代ギリシャ建築 |
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BC509 共和制ローマ発足 |
古代ローマ 建築 |
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BC432 ギリシャ・パルテノン神殿(ギリシャ神殿) |
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BC27 帝政ローマ発足 |
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BC20 メゾン・カレ(ローマ神殿) |
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1 |
64 ネロ皇帝キリスト教迫害 ペテロとパウロ殉教 |
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79 ポンペイ滅亡 |
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ローマ・コロセウム |
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2 |
128ローマ・バンテオン神殿(ローマ神殿) |
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3 | ディオクレティアヌス帝によるキリスト教迫害 |
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4 |
313 ミラノ勅令でキリスト教公認 |
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324 サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂(初期キリスト教教会堂) |
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325 ニケーア公会議 |
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330 イスタンブールへ遷都 |
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380 ローマ帝国・キリスト教を国教認定 |
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381 コンスタンティノープル公会議 |
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392 異教禁止令(キリスト教以外排斥) |
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395 ローマ東西分離 |
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431 エフェソス公会議 |
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5 |
451 カルケドン公会議 |
ビザンツ |
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476 西ローマ滅亡 |
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6 |
537 ハギヤ・ソフィア聖堂(ビザンツ様式) |
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547 サン・ヴィターレ聖堂(初期ビザンツ様式) |
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7 | ローマ・パルテンノン神殿の教会化 |
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8 |
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9 | アーヘン礼拝堂(ビザンツ様式) |
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10 |
962 神聖ローマ帝国発足 |
ロマネスク |
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987 メスキータ(イスラム様式) |
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11 | 三圃制農業による人口の拡大 大都市の形成 |
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1054 大シスマ |
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1061 シュパイヤー大聖堂(ロマネスク様式) |
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12 | カタリ派の活発化と討伐 | ゴシック | ||
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1144 サン・ドゥニ修道院附属聖堂(最初のゴシック様式) |
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13 |
1202〜4 第四次十字軍(コンスタンティノープル攻略) |
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1210 ランス・ノートルダム大聖堂(ゴシック様式) |
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1233 「異端審問官」を制度化 |
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1243 ケルン大聖堂建設開始(ゴシック様式) |
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1250 パリ・ノートルダム大聖堂(ゴシック様式) |
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1260 シャルトル大聖堂(ゴシック様式) |
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1266 アミアン大聖堂(ゴシック様式) |
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14 |
1337〜1453 英仏戦争(百年戦争) |
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1348 ペスト大流行 |
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1378 シスマ(宗教分裂) |
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宗教改革の萌芽 |
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15 |
1414 コンツタンス公会議 |
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1439 ストラスブール大聖堂(ゴシック様式) |
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1445 捨子養育院(ルネサンス様式) |
ルネサンス |
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1453 コンスタンティノープル陥落 |
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1461 サンタマリア・デラ・フィオーレ(ルネサンス様式) |
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16 |
1517 免罪符販売 |
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1517 ルター宗教改革 |
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カルヴァン宗教改革 |
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1534 英国聖公会分離 |
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1534 イエズス会創立 |
マニエリスム |
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1545 トリエント(トレント)公会議 |
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1580 イルジェズ教会堂(ルネサンス様式) |
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17 |
1610 サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会堂(マニエリスム) |
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バロック | |
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バブテスト教会創立 |
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1667 サン・ピエトロ再建完成(ルネサンス〜バロック様式) |
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1668 サン・カルロ・アーレ・クワットロ・フオン夕一ネ(バロック様式) |
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1682 ベルサイユ宮殿完成(バロック様式) |
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18 |
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新古典 |
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1830 モルモン教創設(米国) |
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1854 無原罪懐胎の教義決定 |
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1860 ウェストミンスター宮殿(ゴシックリバイバル様式) |
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1870 エホバの証人創設(米国) |
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1880 ケルン大聖堂最終完成(ゴシック) |
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1880 ノイシュバンシュタイン城館(ネオ・ロマネスク様式) |
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1890 ウルム大聖堂の塔完成(ゴシック) |
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20 |
1962〜65 第二バチカン公会議 |
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アイテム解説 | ||||
ニケーア公会議 | ||||
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アリウス派(イエスを人とする) を排斥し、アタナシウス派(三位一体説)が勝利した | |||
コンスタンティノープル公会議 | ||||
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父なる神と子なるキリストが〈ホモウシオス(同一実体)〉であるとの定式化した | |||
ローマ東西分離 | ||||
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西ローマの政都はラヴェンナ、教都はローマと分離した | |||
エフェソス公会議 | ||||
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ネストリウス派: マリアを「人間としてのイエスの母」であり「神の母」と呼ぶことを認知しない を排除。ネストリウス派はペルシャに移り更に中国で「景教」となり更にアッシリア東方教会につながった | |||
カルケドン公会議 | ||||
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非カルケドン派(単性論:キリストの人性は仮性で、神性のみを認める) を排斥し、カルケドン派(両性論:キリストは人性と神性を併せ持つ)が勝利 | |||
西ローマ滅亡 | ||||
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教都であるローマは法王配下に生き残る | |||
神聖ローマ帝国発足 | ||||
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ローマ帝国と言っているが旧ローマ帝国とは直接的関係無し | |||
三圃制農業による人口の拡大 大都市の形成 | ||||
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農地を三分割して季節ごとに順次使う三圃制農業が開発され収穫が増大。それにより農業従事者も増大(人口の増加)した。それは大都市の形成になり、建築的には大規模なゴシック教会堂建築の背景となった。 | |||
大シスマ | ||||
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ローマ教皇を首長とするカトリック教会(西方教会、ローマ典礼)と、コンスタンディヌーポリス総主教の東方正教会(ギリシャ典礼)に分裂 それ以前に東西でのキリスト教解釈の違いも多くあり分裂の要因になる。分裂は現代でもカトリックと正教会と言う形で続いている。 | |||
カタリ派の活発化と討伐 | ||||
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キリスト教と土着教が結びついたものだが異端とされアルビジョワ十字軍により討伐された | |||
第四次十字軍(コンスタンティノープル攻略) | ||||
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キリスト教どうしの商業争いに起因 1204−1261カトリックが東ローマを統治 | |||
「異端審問官」を制度化 | ||||
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魔女狩り 16世紀ピーク(カトリック、プロテスタント共に行った) | |||
シスマ(宗教分裂) | ||||
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1378-1417年の間、ローマとアヴィニョンにそれぞれローマ教皇が立ち、カトリック教会が分裂 | |||
宗教改革の萌芽 | ||||
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ジョン・ウィクリフ:イギリスの宗教学者 聖書とそれに基礎を置く説教を重要視 死後異端者扱いされる ヤン・スフ:贖有状を批判し、聖書だけを信仰の根拠とし異端者扱いで処刑 宗教改革の先駆者 |
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コンツタンス公会議 | ||||
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宗教分裂を終結 ウィクリフとフスを異端として有罪とする | |||
免罪符販売 | ||||
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サン・ピエトロ再建の為に販売後に宗教改革の要因の一つとなる | |||
ルター宗教改革 | ||||
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福音主義(聖書第一主義)信仰義認説(自らが神に祈ればよい)・・いずれもカトリックの教会必要主義に反する | |||
カルヴァン宗教改革 | ||||
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福音主義 予定説(人間の運命は生まれた時に決定されているのでその後の行いに左右されない) 自分自身の仕事を天職として、正当な方法で懸命に勤しみ蓄財に励むのが努め。→商工業社会に適合→イギリスではピューリタン派へ→米国建国へ 教会運営は経験者(長老)による運営(非階位的) | |||
英国聖公会分離 | ||||
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ヘンリー8世の離婚問題が原因となって(離婚の可否)、カトリック教会から分裂 イングランド(イギリス)の統治者が教会の首長 | |||
イエズス会創立 | ||||
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イグナチオにより創設されたカトリック教会の男子修道会 海外布教に貢献 1580年最初のイルジェズ教会堂建築 | |||
トリエント(トレント)公会議 | ||||
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宗教改革に対する対抗改革 〜1563 | |||
バブテスト教会創立 | ||||
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プロテスタントの一派 イギリスで発生しアメリカで拡大 厳密な聖書主義 | |||
モルモン教創設 | ||||
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米国で発生 三位一体を否定 各々は独立したペルソナ 救われた人間はあの世で神になる等の多神教概念を持つ | |||
無原罪懐胎の教義決定 | ||||
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無原罪の御宿りの教義を認めた(イエスは人間マリアの子であるが原罪を持たない) | |||
エホバの証人創設 | ||||
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米国で発生 三位一体を否定 神はエホバのみでキリストは神の子であるが神ではない 現世は悪魔サタンの支配下にある | |||
第二バチカン公会議 | ||||
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マリアを「教会の母(Mater Ecclesiae)」とすることと、ミサを各国語で開催可能にすることを定めた |