ケルン Cologne

1世紀頃からローマのコロニアルがここに作られたということだが、 現在ではドイツで4番目の大都会。鉄道の要点でもあり、またライン川の観光や運航の要所でもある。 とりわけケルン大聖堂はこの町のシンボル 。

なお、街の名前はドイツ語ではKölnと書き、これを日本語としては「ケルン」と称した。 よって彼の地では「ケルン」と言っても通じにくく 「コロン」と言った方がまだ原音に近いか? オー・デ・コロンのコロンはここのことだう。 Cologneはフランス語での呼称でこれが英語に入って行ったようだ。
(訪問・撮影:2007年1月及び2010年7月ライン川~モーゼル川クルーズの途中にて)

 
2010年の訪問ではライン川を上流側から下って到着した。到着前、ライン川の左岸には斬新なビルが並んで建築中でびっくりした。
川に向かって立つ時計台。と見えたがよく見ると6時のところに「5」とある。これは川の水位計。PEGELとはレベルと言うドイツ語だった。現在は2m30㎝を指している。
ライン川に沿って内陸に作られた小さな港の入り口の橋。大型船が入港する時には横になり水路を開ける可動橋構造になっているが、今は稼働していないようだ。
可動橋を渡ったところにあるチョコレート博物館
展示や自動機械、手作業など楽しめる
列車で訪れる場合に到着するケルン駅。ここは終着駅にある櫛形ホームではなく大きな都市としては珍しい通過形ホーム。駅に近づくにつれみえてくる黒いケルン大聖堂は異様な感じを受けた。
オー・デ・コロン」の本店。販売はもちろん、展示や歴史説明会などを開催している。今やオー・デ・コロンも古くなったので、それ以外のいろいろな香料も扱っている。
「オー・デ・コロン」のすぐそばでは何やら発掘調査が行われていた。中世あたりのものだろうか?あるいはもっと古いローマ時代のものだろうか?
この付近ではライン川は南北に流れ、西岸に旧市街。一番目立つ建物がケルン大聖堂だ。カトリック教会堂の常として、この教会堂も東を向いて立っており、西側には高い塔を備えた正面入り口が構築されている。
この教会堂がいつできたのか?は簡単ではない。二本の西塔が揃ったのは1880年のことであるが、元はゴシック様式が最盛期を迎えた14世紀から建造が始まっている。ゴシック様式の教会堂としては世界最大といわれている。
第二次世界大戦で多くの爆弾を受けたが、崩壊は免れ、戦後修復された、世界遺産に登録された。しかし、近隣の高層ビル建築の懸念で危機遺産にされ、市の努力でようやく解除されてことで今日に至っている。
内部は5廊式の巨大な空間であり、3廊の幅広い袖廊が比較的中央部に近い位置に配置されているので、平面はラテン十字というよりはギリシャ十字に近い形にみえる。
156mを誇る西塔はウルム聖堂の鐘楼161mに次ぐ高さを誇っている。塔には登ることができる。が、気楽な気持ちで登るとエライ目にあう。エレベータはなく、基部から狭い階段をひたすらのぼり続ける。ようやく息も絶え絶えに狭い階段から抜けたと思ったらまだその先に鉄製階段が伸びていた。。
それを登ってようやく109mの高さにある展望所に到達できる。塔は更に上に50mも伸びている真)。階段数は533段という。ともかく階段は狭く一方通行なので途中で戻るわけにはいかない。多くの年配者や太っている人が途中でへたばっていたのが印象的だ。帰りも結構膝に来る。
展望台からの北側の風景。ライン川がとうとうと流れる、鉄路も北に伸びる。右下の塔は聖マーチン教会堂。
大聖堂前の広場には多くの人が集まり、また、いろいろな商売やパフォーマンスをやっている。左は詰将棋ならぬ詰チェス。右は立体絵。
大聖堂周辺の風景。普通の大都市商店街の感じだが、結構「芸術」っぽいところがある。戦災で古い建物はほとんど失われて残っていない
2007年元旦の訪問の時にはまだクリスマス・マーケットが残っていた