リンダーホフ Linderhof |
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ルートヴィヒ二世が、有名なノイシュバンシュタイン城の建築に着手した直ぐ後、1870年頃からリンダーホフの建築を始め、周囲の庭園まで含めると1880年に完成した。更に彼は続いてヘレンキムゼー城館を建築し、それらの膨大な建築費はバイエルン国の経済を疲弊せしめ、最終的には彼の失脚〜死去へとつながる。 しかし、長い年月がたった今日、これらの建物はドイツ観光の目玉として大いに稼いでいる。ルートヴィヒ二世もびっくりだ。 近隣に町はない山奥に入ったところで「なぜ、こんな場所に?」と思わせるが、元は父親の狩猟地で、幼い頃の彼の思い出の地。しかし、他の二つの城館と同様に辺鄙な場所に建築したのは人と離れていたかった彼の性格がそうさせたのだろう。 Linderhof Castle、リンダーホフ城等とガイドブックには書いてあるが、実際に見てもろ城の作りではなく、とてつもなく贅沢な別荘と言える。。 なお、内部は写真撮影禁止の為、外観と庭園の写真のみになる(訪問・写真撮影は2010年7月) |
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正面ファサード この様に軍事用「城」とは無縁の豪奢な作り。 建築様式としてはバロック様式で、内部はロココ様式。 三連の楕円窓、双子柱、楕円平面の部屋(外部からはわからない)などがバロックの特徴。 1階は深い刻みを持つスルティカ仕上げ。主要階2階の浅いテラス部分はイオニア式柱頭を持つ独立した6本の装飾柱が立てられている。建物本体にも埋め込まれた柱(ピラスター)がイオニア式の柱頭を持つ。柱の間はニッチが刻まれ、彫刻が置かれている。2階の上には三角形の神殿風ペディメントはなく、三連の窓と女神・天使などの彫刻で飾られたファサードが立ち上がっている |
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一番上で地球?を担ぎ上げているのは誰なのだろうか? |
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2階のテラス部分は4人の男像が支えている様式(テルメ柱)となっている。
この様式は本来は室内で使われるが、このように外観で使われることも珍しくはない。
ここの四人はちょっと苦しそうな表情。 |
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西側側面 真ん中にブロークン・ペディメントを配置し、何カ所かニッチを設けている。 手前の広場(庭)は正面側からは数段高くなっており、 一階部分は半地下のようにみえるが、一階はサービス用のフロアであり,皇帝の居住区は二階。 そのため、一階部分は正面入口を除き、無装飾で、居住区である二階に装飾が施されている。 中央のニッチのある部分の室内は音楽室になっている。 |
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東側側面 シンメトリーが美しい。 手前には東花壇が配置されている。 中央のニッチのある部分の室内は食堂になっている。 |
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南テラス・ガーデンから望む館の南面(正面) 背景の森林に浮き上がる白亜の建物。 金色の像がいくつも配置されているが、 建物内部は金色と白色とのめくるめく世界である。 中央部分は吹き抜けのホール、左右にタペストリーで飾られた居間がある。 |
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東花壇 特別な花は植えていないがミニフランス風 |
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西花壇の噴水 周囲の像は四季を現しているらしい |
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北花壇とカスケード(小滝)。 山から噴水用の水路が配置されている。 写真ではわかりにくいが馬に乗った像はネプチューン。 |
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北方の山からの水路(カスケード)が館の北花壇に向かっている。
館の先の小山には南テラス・ガーデンが築かれている。
館の北側正面の部屋は寝室。 |
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南テラス・ガーデン その最上部にはビーナス像が置かれている。 右にある太い木が邪魔と思っていたら、 この木は300年以上のLinden(リンデンバーム)で この館の名前の由来になったという。 |
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真ん中の噴水は時間を置いて5分くらい吹き上がる。
結構な高さでびっくりするが
この水圧を得る為に北側の山に水路が設けられているのだろう。
左側にリンデンバームが見える。 |
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南テラス・ガーデン頂上にあるヴィーナス像。
イオニア式の柱に支えられた神殿。 |
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おまけ リンダーホフの北側の山を少し登ったところに「ヴィーナス洞窟」がある 小さな鍾乳洞で内部は照明され、小さな池に船が浮いている。 ストリーはあるが省略。料金は別料金。 |
●○●訪問・散策のコメント●○● |
・付近には鉄道駅ないのでオーバアマガウ駅等からバスを利用する。ミュンヘンからだと十分日帰りできる。 |
・施設は広くないので楽。ヴィーナス洞窟へはやや登りになるが困難ではない。他にはモスク風の「Moorish Kiosk,」モロッコ風の「Moroccan House」,読書や日光浴で使われたヒュッテなどの施設が散在している。 |
・城館への入場はガイドツアー方式となる。入場券購入時に時間と言語を指定する。指定時間に城館前に集合する。日本語ガイドはない。それまでは庭園等を自由散策。 |
・喫茶、レストランは入場門のところにあり。 |