遺跡・古墳

ここでは遺跡や古墳をとりあげています

網羅的な訪問記録ではありません

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岳山古墳
世田谷区等々力1丁目18番
5世紀後半〜6世紀中旬
全長57m、高さ7mの帆立貝型古墳。残念ながら墳丘部には立ち入りできず、入口付近から眺めるだけ。


狐塚古墳
世田谷区尾山台2丁目17番地
尾山台クラブ広場
5世紀後半
直径30m、高さ4.6mの円墳だが、河岸台地の突端にあるので高さはもっと高くみえる。この辺一帯の古墳は出来た当時は多摩川の直ぐ横にあったので、富士山を含め眺めは抜群によかったのだろう。現在は小公園として立ち入りができる。


八幡塚古墳
世田谷区尾山台2丁目11−3
宇佐神社社殿の裏
5世紀中旬〜6世紀
直径約30m、高さ約4.5mの円墳。神社の右手にあるが古墳へ登る道は立ち入り禁止となっている。横からみても木が生い茂り、墳丘の姿はうかがえない。


多摩川台古墳群
古墳展示室
大田区田園調布一丁目63番1号
4世紀〜7世紀中旬
公園の散策路にそって8基の古墳(円墳、前方後円墳)が並んでいる。古墳の場所は札で示されているが植物が多く見つけにくい。古墳展示室はこの付近で発掘されたものや歴史が展示されている。


野毛大塚古墳
世田谷区野毛1丁目25番
玉川野毛町公園内
5世紀前半
全長82mの前方後円墳で現在は後円部のみ残されているが、「前方」部分は埴輪風の置物で形付けられている(中写真)。後円部は木が何本か繁ってしまっているが形はわかりやすい。頂上部分は平らな広場で埋蔵物がどのように埋まっていたかの表示盤が設置されてわかりやすい(下写真)


大森貝塚遺跡庭園
品川区大井6-21
約 3000年前

明治10年(1877) アメリカ人、エドワード・シルベスター・モースが、東海道線車中より発見したとされる大森貝塚。現在はきれいに公園(庭園)として整備されており、一角に モース博士像と共に貝塚の剥離標本が展示されている。(実際の貝塚の地層がそのまま見えているわけではないらしい)。この貝塚がいつ頃の物なのかはっきり 書いてあるものが見つからないが、大体3000年位前らしい。


擂鉢山古墳 (すりばちやま)
台東区上野公園(東京文化会館と清水観音堂の中間当たり)
5世紀ころ
上野公園の真ん中に古墳があるというのはびっくり。しかも推定70×43m、高さ約5mの大型古墳。5世紀ごろの建設らしい。現状は木が繁った小高い丘で、これが古墳だとは気がつかない。南北に階段があり、北側階段上り口に看板がある。前方後円墳と推定されている。現在の頂上広場部分は後円部になると推測されるが、全体の形は大きく失われており、前方後円の形をうかがい知ることはできない。この付近には他にも古墳後が幾つかあり、当時は一帯どんな様子だったのでしょうか?



弥生式土器発掘ゆかりの地碑
文京区弥生2−11(西側角地)
(弥生2−6−1のそば)
1〜3世紀ころ
1884年(明治13年)にこの付近で後に弥生式土器と称される土器が発見され、弥生文化の特定に貢献することになった。しかし、実際の発掘場所はその後の地区開発で不明となり、現在は「ゆかりの地」ということで大体この辺だったという記念碑。碑文から「弥生式土器はここ向ヶ丘弥生町(現在弥生2丁目)の数カ所から初めて出土発見され、町名を冠して弥生式と名付けられました」。


芝丸山古墳
港区芝公園4丁目
5世紀ころ
芝公園の南側の高台になっている場所が芝丸山古墳。古墳といわれなけば古墳とは分からない。中央に「瓢形大古墳」と刻んだ大岩があるので、前方後円墳ではなく、双円墳なのだろう。オリジナルは100〜125mの長さがあったと推定されている。片側の円部の頂上部分はかなり広い広場になっており,周囲よりは約16mの高度差。オリジナルからは削られた姿らしい。一応、全体の姿はおぼろげには残っているらしいが、樹木も多く、わかりにくい。


稲荷丸古墳(遺跡)
世田谷区上野毛3-9-25
(五島美術館敷地内)
紀元前3千年ころ?

美術館には高低差を持った庭園が広がっているが、この古墳は美術館と同じ高度の高台側に位置する。多分、形も崩れてしまっていて古墳とは分からないが、そもそも古墳なのか?碑の説明文によると「この地は隣接する(稲荷山北遺跡)の発掘調査により竪穴内点在貝塚を含むなど縄文時代の前期後半の竪穴式住居も見つかり、都内では珍しい諸磯期の集落址が確認されている」とあり、古墳とは書いていない。遺跡と思った方がよいのだろう。


亀塚(古墳?)
港区三田4丁目16
亀塚公園内
古墳時代後期
公園内の片隅にある小高い地形が亀塚。丘の上は平らな広場になっており、その後ろ側は崖、即ち古墳時代の海岸断崖になっている。古墳の可能性は高いものの、古墳とは断定されていな旨が表示板に書かれている。


伊皿子貝塚遺跡
港区三田4-17-28
三田台公園内
縄文時代
亀塚の直ぐ隣に位置する。古墳時代よりずっと以前の縄文時代からこの地には人が住居していたようだ。住居の再現、住居の柱跡、付近の貝塚の切り剥がし展示などがある。貝塚があることからも、この地が大昔は海岸だったことが分かる。随分と海が浸食してたいのであるが、当時は温暖化だったのだろうか?関東地方が隆起したとは考えにくい。


柴又八幡神社古墳
葛飾区柴又3-30-24
6世紀後半
社殿裏手に石室らしい石組みがあり、発掘したところ前方後円古墳と判明した。現状は墳丘はなく、その付近に記念物島俣塚」が設置されている(中央写真)。発掘のさいに寅さんの顔をした埴輪が出土したということだ。