西欧建築における柱
1 日本建築における柱

日本の伝統的建築は柱梁建築(軸組建築)と呼ばれ、柱と梁を構造体とした建築である。四隅等の要所要所に配置される柱は構造的に重要なものであるが、それらの柱がそう注目されることはない。日本で一般的に「建物の柱のイメージは?」と問えば、次の3ツ位だろう。

①  大黒柱
家の中心で家を支える柱とされている。しかし、実際に家を支えるのは四隅等の柱の方であり、通常、大黒柱は無くても家は倒れることはない。大黒柱はいわば家(家族)の象徴的な意味合いが強い。それゆえに太く立派な材で磨かれて、目につく形で設置されている。

  床柱
床の間の前面片角に設置される柱。構造的意味合いは少なく、床の間をより立派、豪華に見せる為の装飾としての柱。大黒柱同様に立派な材や華麗な装飾が施される。

③心柱(芯柱)
これは一般的にはあまり馴染みないが、五重塔などの中心を貫き、建物の芯となっている垂直な柱。しかし、この柱に建物の主要な部材が接続されているというわけでもなく、通常は最上位階で建物に接続されており、耐震に効果があるとされている。

ということで、日本建築では柱は構造上最重要であるにも関わらず、建物の評価基準は屋根の作りや豪華さになっていて、柱は影に隠れてしまっている。

2 西欧建築における柱


西欧建築ではギリシャ・ローマ神殿、キリスト教教会堂、近年でも多くの建物の内外に渡って柱の存在が強調されている。これは西欧人にしてみれば当たり前のことだろうが、日本と比べて見ると違いが際立っている。その辺の事情を詳細にみていこう。

1)組積造構造なのになぜ柱?

伝統的西欧建築は主には石やレンガで壁を積み上げ、その上に屋根を載せる組積造工法と言われるものである。この工法では壁が建物を支えるので、小さな建築であれば柱無しでも構築できる。にも関わらず、なぜ多くの歴史建築物で柱が表現されるのか?それはギリシャ神殿に立ち戻る話しになる。

(2)ギリシャ神殿の構造

アテネのパンテオン神殿をみてみよう。下の想像図を見ると四周に柱を巡らし、その柱で建物を支えて建っている柱梁建築のように見える。

しかし、平面図をみると柱の並びの内側に柱とは独立して長方形の部屋があることが分かり、これは柱梁建築の視点からは奇異である。

一般的な柱梁構造の建物であれば柱の間を壁で塞ぎ部屋とするのが普通であり、パンテオン神殿の場合は部屋と柱の並びとは別々のもののように見える。


ギリシャ神殿については分かっていないところも多いが、私見で言えば柱と中の部屋は構造的に関係ない別のものと思った方が分かりやすい。すなわち部屋は部屋として木材か石かレンガの組積造で作られており、その外側を囲むように列柱を並べた。そして列柱の並びを支点にして木材で大屋根がかぶせられている。列柱は建物構造的には屋根の基盤となるが、建物全体から見た位置づけとしては建物を権威付けて見せる為の「飾り」の位置づけと考える。

その屋根は木材だったので現存していない。中の部屋も強固な物ではなく(当初は木製だったようだ)多くの物は時代の中で崩れさってしまったり、石材盗難にあったりで、残っているのは柱のみが多いというのが現在の姿だ。

下はパンテオン神殿想像図。左短辺側が正面。四周を円柱で囲み、柱の上に屋根を構築している。このアングルからは屋根は見えない。また、内部がどうなっているかもわからない。


下の平面図では左側が正面。周囲だけでなく内部にも柱がたくさん立っていることが分かるが、長方形の部屋(黒線)は柱とは関係なく壁で構成されていることが分かる
(3)ギリシャ神殿の形が与えたもの

ギリシャ神殿の円柱+エンタプラチュア(梁)+ペディメント(三角形の破風)の組み合わせは、現在では世界遺産のマークに採用されているが、この構成は欧州建築の基本中の基本になっている。この組み合わせの価値観は欧州人にとってはとてつもなく重いイメージとなり、現在に至るまで価値の基準として強く残っている。

この3者を組み合わせた形については格段、名称が付いていないようで、日本語ではギリシャ神殿風のファサード(入口様式)とか言っていたりするが、ここでは簡単の為にある方の提案を頂戴して「ギリシャ君」と命名しておく(笑)。

世界遺産のシンボルマークは明らかにギリシャ神殿をデザイン化している。一番下の三本線は基礎(スタイロベーロ)を現している。

ギリシャ君で登場した柱は、その後、建物内部の柱など別の箇所での柱にもその意匠や考えが拡散し、また柱自体も幾つかの形態が定義されることになった。その様な姿をみていこう。

(4)オーダ
オーダとは西欧歴史建築学の中でも根幹を成すといってよい重要な概念で、柱(シャフト)と梁(エンタブラチュア)を組み合わせ、分類した様式をいう。

ギリシャ起源が3種類(ドリス式、イオニア式、コリント式)、ローマ起源が2種類(トスカナ式、コンポジィット式)があり、16世紀の建築家ヴィニョーラよって5種類に整理されている。


オーダは要素毎に細かく区分され、様式はそれ毎に細かい違いがある。詳細はここを参照。簡易的にはエンタブラチュアにはあまり気を回さずに、柱の様式、とりわけ柱頭の様式をオーダと称する場合もある。

オーダはそれが生まれた時代には明確にそのような様式が定義されていたわけではなく、後世の、とりわけルネサンス時代にもてはやされ、更には現代建築においても、ここそこに姿を見せている。

オーダの細かい比較表はここを参照。下の説明図では6種類のオーダに分類している。左からギリシャ・ドリス式、トスカナ式、ローマドリス式、イオニア式、コリント式、コンポジット式。また柱の高さも本来の高さ比には描かれていない。柱(シャフト)の模様、柱頭(キャピタル)の形、エンタブラチュアの違いに注目。


   
 
下はイオニア式のキャピタル部分。細かいヴァリエーションは多いが、概ねこのような両渦巻き形状をとる。下は三菱UFJ本店の旧ビルに設置されていたキャピタル部分。


下はコリント式のキャピタル。葉の出方とか上の蔓の巻き方などで細かいバリエーションあり。蔓の巻き方が大きいとコンポジット式に近い見え方になる。

下はコンポジット式キャピタル。上1/3がイオニア式、下2/3がコリント式となっているのが標準だが様々なバリエーションあり。
(5) 材料に加わる力と強度

石や木材、金属などの材料に力を加えた時にどの程度の強度(耐力、変形するとか折れ曲がるとか)があるかは多くの指標で決めることができるが、その代表的な加える力の例を図に示す。


また、杉(木材)と大理石(石材)を例として、その耐力を下の表に示している。材料の材質や個体差により倍くらい変動するが、概ね平均的にはこの程度の値をとる。


ここで注目すべきは、圧縮強度は大理石が杉よりも圧倒的に高い(耐力がある)が、曲げや引っ張りに対して大理石は木材の1/5~1/20程度の強度しかないことである。この違いは両者を建築構造体として使った時に下の様な強度の違いとなって現れてくる。

下の家のモデルは柱(青)2本と梁(赤)、その上の屋根(への字型)からなっている。

このモデルで屋根の重量が重い場合、木材の柱では耐えきれない場合があるかも知れず、その場合は石材の柱が有利である。

一方、赤い梁にはその自重と風などによる柱の揺れや屋根の重みなどから横へ広がろうとする引っ張り力、真ん中から下に向いた曲げ力が発生し、石材は木材よりも耐えきれない。もし、石材の梁を保持しようとするとそれを支える柱を間に入れていかなければならない。

すなわち、梁に石材を使用するのは構造上、理に適った選択とは言えない。
(6)オーダと建築構造の矛盾と生き残り

オーダの元となっている建築構造は柱梁建築、すなわち柱で梁を支え建築を成す構造である。この構造は木材で作る場合は理にかなっているが、これを石材と作ろうと無理が出る。すなわち、石は柱として垂直に立て上に物を乗せる場合には木材以上に耐力があるが、梁として両端のみ支持で下に空間を開けて横に長く設置した時に上からの荷重や自重の為に折れ易い特性を持つ。すなわち、石造柱梁構造建築のギリシャ神殿は大きな矛盾(問題)を孕んでいる。

ギリシャ神殿の元となった木造の神殿に起因しているとされている。木造だったらよっぽど屋根が重くない限り、柱梁建築構造で全く問題はない。それを石造で作った為に出てきた矛盾だ。ギリシャ神殿は多くの柱に囲まれているが、あの柱群は見てくれを立派にするという意味合いもあるだろうが、そもそも少ない柱ではあの構造を維持できないという点もあったのではないかと推測する。元の木造の神殿はそんなに多くの柱で作られていなかったかもしれない。

結局のところ石造での柱梁建築は不可能ということが如実になり、石造の建物は組積造構造で建築されることになったが、このオーダの様式(=柱梁構造)の見てくれだけは深く強く長く生き続けることになる。
(7)円柱の様態変貌

古代ギリシャ神殿の円柱は構造体としての取り付けられたが、古代ローマ時代には円柱はその形は残しつつ、装飾体としての姿になって来ている。その様態として3つある。

・デタッチド・コラム(独立円柱):
建物の構造壁前の独立柱。建物の一部を支える場合と装飾的な場合とある。


・ハーフコラム(半柱):
建物の構造体壁に貼り付けられる半円形の装飾用の柱


・ピラスター(付け柱):
建物の構造体壁に貼り付けられる板様の柱模様物

下のメゾン・カレ(イタリア・ニーム)は紀元前20年頃にアグリッパによって建設された、ほぼ完全な形で現存するローマ神殿 正面にコリント式の円柱が6本並ぶ六柱式神殿 全30本の柱のうち、デタッチド・コラム(独立円柱)は前方の10本のみで、側面はハーフコラム。この場合デタチッドコラムは屋根とエンタブラチュアの重さを支えているが、神殿の建物はその奥に独立した組積造作りで作られている。
下はサン・ピエトロ使徒座聖堂の西側ファサード。ペディメントの下の4本はデタッチドコラムだが、その右側の2本はハーフコラム、一番右は四角い柱形状をしたヒラスター。4本はデタッチドコラムはもはや支えるものを持たない装飾的意味合いになっている。


(8)オーダの積み重ね


多層階の建物に柱をつける場合(飾り柱でよい)、ルネサンス期までは階ごとに柱を積み重ねるという方式であった。

この場合、同じオーダの柱を積み重ねるのではなく、1階の柱、2階の柱・・・と違う様式の柱を積み重ねるのが常であった。すなわち、
1階の柱:ドリス式
2階の柱:イオニア式
3階の柱:コリント式
と重ね、更に
4階の柱:コンポジット式
と、ある意味時代が古い物から新しいものへ、また、それは太い柱から細い柱へという理に適った原則だ。

たとえばローマのコロセウムの外壁は3層階層でハーフコラム方式の柱ではあるが、この順序で重ねられている。


もし5階があった場合、或いは1階をイオニア式当たりから始めた場合、コンポジット式の上にはカリアテッド(女身柱、女像柱)という女性の姿の柱を置くことになっているというが、その実例は不詳。

現代の建物でもオーダが装飾として用いられることがままあるが、現代の建物に於いてはこの積み重ねの原則は無視されている場合も多い。デザインとしての単純化を狙ったのか、或いは多種の柱を揃えるのは金がかかる等の理由によるものだろう。

下はローマ・コロセウムの外壁(東武ワールドスクエアの展示)。写真ではわかりにくいが3層で、下からドリス式、イオニア式、コリント式のハーフコラムが装飾されている


カリアテッド(女身柱、女像柱)の例はギリシャ・パンテノン神殿のとなりにあるエレクティオン神殿に並ぶ
中国・天津の新ビル。3層のオーダを重ねる。一階と二階はコリント式、三階にカリアテッドがみられる。一階がイオニア式であれば順序通りになるのだが。

ドイツ・フライブルグの新ビル。カリアテッドの上にイオニア式のキャピタル(柱頭)が配置されるというユニークな意匠。現代は何でもあり。


(9)エンタブラチュアの重要性

「西欧建築におけるアーチ」でも示したように組積造の構造壁に入口や窓の開口部を開ける方法として最も一般的で構造的にも安定するのはアーチを作って穴を開けることである(下図)。

そのアーチの足部に柱を置き、アーチの高さを上げると開口部は大きく広がり空間構成にとって都合がよいことになる。実際、この構造は教会堂の中のアーケード(アーチの連なり)など多くの場所で目にすることができる。しかし、ここでちょっと困ったこと、違和感が発生する。

壁を長く上に伸ばして柱という形にして、柱の上にアーチを置くという構造はオーダの原理や見てくれからすると違和感が強い。すなわち、柱はその上の水平なエンタブラチュアを支えるという構造なのであり、曲線をもったアーチを支えることではない。

このデザイン的な矛盾を解決する為に柱の上に直接アーチを置かずに、柱の上に短いエンタブラチュア様の台みたいな物(インポスト)を置き、その上にアーチを置くという手法が取られた。
装飾的にインポストを作り、それでアーチを受けると違和感はなくなり、オーダ理論との接続もよくなる。


この手法は一般的な手法となり、現代の建築で柱とアーチがインポスト無しで設置されているものをみると落ち着かない感じを受ける。


実際にインポストを設置してある例


東京・旧万世橋駅。インポストが無いので今一つ安定感が伴わないアーチ。

目立たないがインポストが装飾されているので安定感が感じられるアーチ(ミュンヘン)

(10)円柱自体の多様化

円柱を並べる場合、ルネサンス時代までの基準は「等間隔に」「1本ずつ」「各階毎に」設置ということだった。しかし、時代がたち建築に多様性やリズムが求められるようになるとその基準ではなかなか実現できないものも見え始め、特にルネサンス後期からそれを逸脱するものが登場し、その時代をマニエリスム期と称することになった。

・ペア柱(双子柱)
2本をペアにして配置する。これにより柱の配置に柔軟性が出て、リズム感も生まれる。下はローマのCancelleria宮殿16世紀初頭 二本の柱を並べる意匠が登場した

日本・迎賓館  ペア柱が並ぶ


・ジャイアントオーダ(大オーダ)

階を貫く背の高い柱を設置する。これにより建物の外観の柔軟性が高まり、ダイナミックな表現が可能となった。マニエリスム期~バロック期の大きな特長の一つ。
下写真の正面は1563年ミケランジェロ設計のローマ市庁舎(セナトリオ宮殿)。ジャイアントオーダ登場期の建物。

下写真は1~2階を貫く、ジャイアントオーダが並ぶサン・ピエトロ使徒座聖堂のファサード。柱の間隔も等間隔ではない


・ソロモンの柱(ねじり柱)
螺旋模様にした柱。特にバロック時代に多く用いられた。楕円やロココ調などと共にダイナックなバロックの建築の様式に適合した。

(11)エンタブラチュアの多様化
柱の多様化と共にエンタブラチュアもまた時代の流れにより変貌していった。初源の姿ではエンタブラチュアは円柱と共に面一で横にすら~と伸びるものであった。ところが、これもマニエリスム~バロック期の建築の大きな変貌の中では面一ではなく凸凹のある形や曲面として形成される事になっていった。
サンピエトロ使徒座聖堂の入口ファサードの姿にもその一例を見ることができる。(上写真)

下はミュンヘン・テアティーナー教会  バロック建築  エンタブラチュアは中心部が一番出っ張っており、脇に行くに従い奥に引っ込む。


3 ギリシャ君の多様化
話しを最初のギリシャ神殿の入口の意匠、すなわち円柱とエンタブラチュアとペディメントの組み合わせ(これをここでは「ギリシャ君」と称す)の造形に戻す。ギリシャ君を構成するオーダ(円柱とエンタブラチュア)がいろいろ変遷していったのと同様にギリシャ君にも又いろいろな変遷があった。

(1)ギリシャのギリシャ君とローマのギリシャ君
古代ギリシャの神殿(左下)と古代ローマの神殿(右下)を示す。どちらも6本の円柱を抱く神殿だが一見してギリシャ神殿は横長、ローマ神殿の方が縦長なことが分かる。
このギリシャ神殿は正統派のドリス式神殿であり、ローマ神殿はトスカナ式と思われる。この違いは柱長の違いとなって図のような見え方の差になる。もう一つ重要な違いは三角形のペディメントの高さの違い。これもギリシャはローマに比べ平べったいペディメントになっている。19世紀になってグリークリヴァイヴァルが起きた時にはギリシャ君も本来のギリシャ神殿の比率で再現された。(注:下の左右は同一縮尺ではない)
ギリシャ神殿
ローマ神殿

(2)ギリシャ君の権威化

ギリシャ君は本来は方形平面神殿の入口部分として意味があるが、その部分だけを切り出して、建物に付け加えることがローマ時代から現代に至るまで数限りなく続いている。例えば古代ローマのパンテオン神殿の入口であり、近代ではホワイトハスウである。
これは西欧人の中に深く根ざしたギリシャ君の持つオールマイティな権力表現性、正統性を利用したものである。
ローマ・パンテオン神殿の入口

パリ・パンテオン劇場  ギリシャ君がポコッと付けられているのがよく分かるが、これが無いとドームはともかく、かなり寂しい建物だ。

ホワイトハウス正面口

千葉県の某結婚式場  ペディメントの高さが低い(柱が長い)のでちょっとバランスが悪いが、結婚式場としての派手さと威厳は表現できている。

   
(3)ギリシャ君の変貌

オーダが独立した構造物から壁の中に埋め込まれるようになって行ったのと同様にギリシャ君もまた独立した姿から小型化され壁に張りついたり、建物の内外の装飾体として変貌していった。この例も数限りない。

ベルサイユ宮殿の壁に張りついたギリシャ君



国会前の日本水準原点標庫1891年のギリシャ君。小さいながら威厳を保つのは、ドリス式オーダを比較的忠実に再現しているからだろう。

日銀本店1896年に張りついたギリシャ君だが、威厳性は今一つ弱い感じがする。間には入れ子でギリシャ君が入り込んでいて、凝っていることは凝っているのだが。


窓との組み合わせも注目。窓は西欧建築の外観として重要視されて来ており、単純な方形の窓を彩るものとして、周りに装飾がいろいろと施される。

その一つとして窓を神殿の出入口と見なし、両脇に柱を置き、上に三角形のペディメントを乗せるという意匠が古くから一般的である。一つ一つの窓がミニ神殿となり連なる。そこには権威性とか正統性はないが、端正な連なりとなり、特にルネサンス様式との親和性はよい。



ペディメントも当初の三角形型から上が円弧(弓形)になった形セグメンタル・ペディメント)が登場する。

更には、一辺の何処かが切れているもの(ブロークン・ペディメント)などが登場し、柱は伴わず,これ単独で意匠要素として使われるようにもなった。下写真は上が切れたセグメンタル・ペディメント(横浜)

ミラノ大聖堂は1階にセグメンタル・ペディメント、2階は下が切れた三角形のブロークン・ペディメントが使われている。


(4)ギリシャ君の平民化・混沌化
ギリシャ君は権威の象徴として使用されるのとは別に、柱の本数を減らしたり、エンタブラチュアを簡易化したり、ペディメントを柔軟な形にしたりして、普通の建築にも適用されるようになって行った。この例も数限りない。

街中でもわぬところで変貌を遂げたギリシャ君の姿を見つける時、思わずニンマリする。

とあるマンションのゲートのギリシャ君。ペディメントは真面目に装飾が入っている。エンタブラチュアはかなり省略されている。というか無い?

某居酒屋?の入口。珍しい3本柱(笑)。


巨大な招き猫に目を奪われるが建築好きとしてはその上の巨大なイオニア式の柱とちゃんとペディメントが付いていることに感激して欲しい(笑)

一般の戸建て住宅の玄関を飾る質素なギリシャ君。


また、一方ではバロック建築様式の影響を受け豪華絢爛に、古来のルールから外れた形態なり、更に、近代・現代にいたっては何でもありの混沌とした姿になっている。
ルートヴィッヒ2世の瀟洒なリンダーホフ城館1880年完成。角にギリシャ君意匠が見られる。柱もエンタブラチュアもペディメントもかなりデフォルメ、装飾化されているが、それでも面影は十分残る。

ミュンヘンのアザム教会1733年建造。内外ともにバロックの秀作となっているが、コンポジット式をかなりデフォルメした柱頭を持つ柱の上にゴチャとしたもはやエンタブラチュアともペディメントとも言えない屋根?が付く。

4 まとめ

柱から始まり、ギリシャ神殿~オーダ~「ギリシャ君」を中心に眺めてきたが、このギリシャ神殿のイメージと建築的構造の持つ意味は西欧建築の中では極めて大きいことが改めて分かった。

注:小生の他のホームページでは「ギリシャ君」を神殿式の柱の事として書いているが、ここでは上述の様に柱とエンタブラチュアとペディメントを合わせたものを「ギリシャ君」とした。
図版流用元
<A History of Architecture on the Comparative Method>
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