歴史的西洋風建築
ここでは明治〜昭和初期に建築された西洋風の建築物を取り上げます
(教会堂・聖堂関係は本シリーズの教会堂ジャンルを参照)
網羅的な訪問記録ではありません

グーグル・マップでの場所表示
旧島津公爵家袖ヶ先本邸
(現、清泉女子大学本館)

品川区東五反田3-16-21
1915(大正4年)年
ジョサイア・コンドル
庭園側は二層のベランダ。一階はトスカナ式、二階はイオニア式の列柱で真ん中で出っ張った全体的にはバロック調のダイナミックな造形となっている。正面玄関は太い四角柱が目立つがドア側から見ると四角柱は円柱風に工作されている。北側の二階窓は上部に三角形のペディメントをそなえたルネサンス風の並びになっている。玄関脇内部に立派な大階段があるようだ。


旧岩崎邸宅(洋館)
台東区池之端1-3-45
1896(明治29)年
ジョサイア・コンドル
当時の三菱財閥の贅を尽くしたような豪華な作りの迎賓館。一見石造りにみえるが木造。北面の格調ある玄関部分、南面の2層のベランダ、ともに列柱で特徴づけられている。特に特定の建築様式ではなく、ルネサン ス、バロック等からよいとこ取りをすると共に日本文化や職人技術との融合も図っている。内部立ち入りも可だが、内部写真撮影は特別のイベントを除いて禁止。


 
旧古河庭園洋館
北区西ヶ原1−27−39
1917年(大正6年)
ジョサイア・コンドル
明治政府に雇われたイギリス人建築設計家ジョサイア・コンドルの晩年の作。コンドルは辰野金吾、 片山東熊などの先生に当たる。古河庭園ではこの洋館とその前に広がる西欧庭園を設計した。この洋館の内部には和の部屋もあり和洋伯仲のデザインと言う。

三菱一号館美術館
(レプリカ築)

千代田区丸の内2-6-2
2009年(平成21年)竣工
オリジナル設計:ジョサイア・コンドル
元々あった三菱一号館とほぼ同じ場所にレプリカ建築されたもの。オリジナルは1894年(明治27年) に竣工し、1968年(昭和43年) に解体された。この解体にあたっては三菱側が保存の要請をけって抜き打ち強行解体した曰く付きの経緯がある。跡地には15階建の「三菱商事ビルヂング」が 1971年に竣工したが、それを取り壊し、この地区と本館の再建となった。このようなレプリカ建築に対して、どのような意味付け、価値付けがなされるのか、評価には年月がかかりそうだ。


ジョサイア・コンドル墓
文京区大塚5丁目39 
護国寺墓地内
建築ということではないが、偉人の墓なのでここで紹介する。広大な墓地の中にある、案内板もないので場所は大変分かりづらい。グーグルマップに記載があるのでそれで目指すのが良いだろう。墓の前に簡単な説明板があり、周囲は結構木が繁っている区画に墓碑がある。地下鉄・護国寺付近には鳩山会館もあり、合わせて訪問するが便利。



東京芸術大学赤レンガ1号館
東京芸術大学赤レンガ2号館
台東区上野公園12番8号
1号館 1880年(明治13年) 
林忠恕
2号館 1886年(明治19年) 
小島憲之
耐火性、耐久性に優れるレンガを用いて書庫として建築された。窓には鉄扉も備えられている。レンガは耐震性に難点があり、関東大震災でも被害を受けたそうだが何とか現在まで生き残った。学園内にあるため、通常は見学できないが、表通りから見ることは可能。あまり落ち着いては見れないが、レンガの色合い、窓の 形状などがみどころ。


旧東京音楽学校奏楽堂
台東区上野公園8番43号
1890年(明治22年)
山口半六、久留正道
日本で 最初の本格的西洋音楽ホールとして東京芸術大学校内に建築され、1987年(昭和62年)に上野公園内に移築された。移築後は一般公開されていたが、 2013年より建物保存のための長期休館となっており、内部への立ち入りは出来ない。外見の見所としては本来は石作りによる洋風建築を木造地にて疑似して 構成しているところだろう。


日本水準原点標庫
千代田区永田町1−1
国会前庭洋式庭園内

1891年(明治24年)
佐立七次郎
もともと、この目的の為に建設された。小さいながらもギリシャ神殿の様式、即ち、屋根部分の三角形のペディメント、その下の梁相当のエンタブラチュア、それを支える2本のドリス様式の独立柱、を踏襲し威厳をもった姿になっている。エンタブラチュアには菊の紋章に囲まれ「大日本帝國」と右から刻まれている。また、その下の壁には古い書体で「水準原点」と刻まれている。この建物、周囲に配置される一等水準点を含め、見所が多い。国会前庭洋式庭園は常に公開されているので、この建物も見学は容易。
なお、水準点の意味合いについては本シリーズの「原点・起点・発祥地」の項を参照。


ワンスアポンアタイム
(現在名)

台東区上野1−3−3
1890年代頃
建築年がどこまで確定されているのか不明だが、当初から民間人が倉庫?として建築したらしい。現在はタイトル名のバーとして活用されているが、取り壊し話もあったということで、今後が懸念される。街角の一角に明治が取り残されている趣。


法務省旧本館
(司法省庁舎)
千代田区霞が関1−1−1
1895年(明治28年)
1994年(平成6年)改修
ヘルマン・エンデ 、ヴィルヘルム・ベックマン
河合浩蔵(実現設計)
東京駅にも似たひときわ鮮やかな白と赤茶色のストライ プの建物。ドイツ・ネオバロック様式の建物と説明されているが、窓や柱が均等に並び、各階は閉じてデザインされているので、バロック様式よりは、むしろルネサンス様式に近い構成をとっていると思う。外観見学可能。

三井本館
中央区日本橋室町2−1−1
1902年(明治35年)
米国・トローブリッジ・アンド・リヴィングストン事務所
独立柱ではないが、イオニア式の列柱は迫力であり、見事。昔の建物なので内部にも太い円柱が並んでいる姿は壮観。ギリシャ神殿風のペディメントはないが古典様式として優れた姿をみせている。


国立国会図書館国際子ども図書館
(帝国図書館)
台東区上野公園12番49号
1906年(明治39年)
1929年(昭和4年)増築
久留正道  真水英夫  岡田時太郎
写真ではわかりにくいが、初めて見た時はその外観、特 に黄(金)色の色彩部分に惹かれた。ルネサンス様式と説明されているが、この色使いや階を連ねた柱様式などルネサンスより一時代後のバロック様式的な趣を感じた。内部も階段や天井の意匠等見所が多い。


赤坂迎賓館
(東宮御所〜赤坂離宮)
港区元赤坂二丁目1番1号
1909年(明治42年)
 片山東熊
辰野金吾と同様工部大学の建築部門一期生だった片山東熊。宮殿建築を得意とし、この赤坂御所として作り上げたが明治天皇からは豪華すぎると批評あり、あまり使われなかったらしい。一見二階建てに見えるが半地下階(サービス用)があり3階建てとなっており、主要な部屋は3階に並ぶ。建築様式としてはネオ・バロック様式。左右がカーブを描いてせりだしている所にその特徴が現れている。庭側は双子柱が並び、ルーブル宮殿の東側の造作ににている。また、大きな噴水の形は上からみるとベルサイユのアボロンの噴水と同じ形をしている。何カ所の端の出入口のアールヌーヴォー的装飾屋根もきれい。





東京国立博物館・表慶館
(東京帝室博物館
台東区上野公園13−9
1909年(明治42年)
片山東熊
小振りながら美しいしっかりとしたネオ・バロック様式の建築。建物は国立博物館敷地内にあるので入場料を払わないと近くまでは行けないが、内部も一階部分は入場できる。建築当時から博物館として利用されていた。そのせいもあり、二階部分側面には窓がなく、ここは天井からの採光。真ん中のドーム付近の内部がとりわけ美しい。



東京駅丸の内本屋(ほ んおく)
東京駅ステーションホテル
千代区丸の内1丁目9−1
1914年(大正3年)
辰野金吾
2012年(平成24年)復元工事完了
修復は外観的には大きくは両脇のドーム部分と空襲て焼け落ちた三階部分の再構築である。出来上がって不自然感がないのはオリジナルのデザインの優秀さを示している。修復と同時に内部の耐震化やホテルの整備も行った。スタイリングとしてアムステルダム駅を模して・・・と言われているが実際には似ていない、辰野流の古典主義様式。赤いレンガと白いラインは当時の多くの建物に見られる。
なお、東京駅への眺望については本シリーズの「無料展望台・屋上庭園」の項参照。





東京ステーションホテルは駅舎の2〜3階部分となっているがフロントは一階中央にある。ともかく横長の建物なので廊下が長い。部屋は広場側とホーム側にあるがホーム側の部屋は窓がない(やや安価)。広場側の部屋は窓があり明るいが、高さはないので眺望がよいというわけではない。部屋やホテル内は豪華というより堅実という感じで、豪華さを期待していくと少々期待外れになるだろう。大正〜昭和初期ロマンスタイルの実現みたいな感じ。天井高は高く、ベッド高も高い。バス、トイレ、洗面は分離されており、バスは日本人向けに浴槽外で体が洗える。3階中央部分にレストランあり、ここが唯一の共用部分。なお、2〜3階の客室部分は宿泊者以外は立ち入りできない。


日本銀行本店
中央区日本橋本石町2−2
1896年(明治29年)
辰野金吾、長野宇平治(増築部分)
工部大学の建築部門一期生の辰野金吾の代表作の一つ。一番古い部分は南西部であり(上、中写真)、以降1〜3号(下写真)と増築された。ベルギー銀行をモデ ルに作られたと説明されるが、実際はあまり似ていず、古典主義様式(ルネサンス様式、バロック様式)をべースとした折衷的な様式と思う。事前申請により内部見学ツアーがあり辰野設計の一番古い部分を中心に、大金庫、窓口などを見て回れる。外からは分からないが入門すると広い中庭(中写真、元は馬車寄せ)があり、ちょっとびっくりさせられる。見所が多い場所だ。


日本工業倶楽部会館
千代田区丸の内1−4
1920年(大正9年)
 横河民輔、ファサード:松井貴太郎、インテリア:橘教順、鷲巣昌
2003年(平成15年)部分保存
老朽化の為、外壁(ファサード)や一部の施設を除いて全面改修が行われた。外観は大きくは変わっていないということだが、どうも以前の物と比べると印象が悪い。壁の茶色の色見か違うのであろうか?最近はスペース有効利用や耐震補強の観点も含め外壁部分のみ残す改修が流行っているが、もう少し建物自体を残せな いものだろうか、と思ってしまう。


自由学園 明日館 
豊島区西池袋2-31-3
1921年・大正10年
フランク・ロイド・ライトと遠藤新
当初は女子学園として開校。正面の建物は当時、帝国ホテルの設計で来日していたライトに依頼。直線基調のすっきりとしたデザインながら、窓などには共通する意匠が見られる。別館として遠藤設計の講堂があるが基本的意匠は本館と合わせてあるので違和感ない。維持管理も大変と思うが綺麗に保存されている。


郁文堂  いくぶんどう
(旧昼夜銀行本郷支店
文京区本郷5−30−21
1923年・大正12年
設計者不詳
元は金融業だったせいか、低いながらも下の方に基壇を設け、その上に太い柱を4本立てて、全体を重厚にみせている。


両国公会堂
(旧本所公会堂)

墨田区横網1−12−10 
旧安田庭園内
1926年(大正15年)
森山松之助
関東大震災の後地に、被服廠に隣接するこの場所に安田財閥の資金て建築された。約800名収容というとこで当時としては大型のホールだったのだろう。現在は老朽化の為、使用停止になっており、今後の行く末が 注目される。池は旧安田庭園。

明治生命保険相互会社本社本館
(明治生命館
千代田区丸の内2−1−1
1934年(昭和9年)
岡田信一郎、岡田捷五郎
1階部分半円窓を入れたる仕上げ、その上に5階分をぶち抜くコリント式の独立列柱が並ぶ姿は壮観。古典主義様式を踏襲する。日本橋の三井本館と似ているが1階のルスティカ仕上げ、独立列柱とこちらの方がより本格的。土日は内部見学可。
  

鳩山会館
文京区音羽1-7-1
1924年(大正13年)
岡田 信一郎
個人邸宅であるが、多くの政治的集まり等が開催された場所でもある。内外共に特定の建築様式は持たないが半円アーチ形状の入口や窓が目を引く。私邸ではあるが多くの人が集うということで幾つかの広間も設けられている。窓は大きく明るい光が差し込むが、また一方では多くのステンドグラス(デザイン窓)が設けられていて目を楽しませてくれる。このような歴史建物では珍しく座ることができるソファもあり、しばし佇み雰囲気を味わえる。



黒田記念館本館
台東区上野公園12
1928年(昭和3年)
岡田 信一郎
あまり目立たない建物だが、柱を含め、表面全体をスクラッチ・タイルで覆っており、他の建物とは違った顔を見せている。元は美術館であり、現在も東京国立博 物館の施設の一つ。建築様式としては特にないが、2階窓部にはイオニア式の柱がバロック様式調のペア柱とてし並ぶ。現在は耐震工事中というとで2015年 から公開予定とか。

中央区立常盤小学校
中央区日本橋本石町4丁目4番26号
1929年(昭和4年)
関東大震災後の復興事業として建築された「復興小学校」の一つ。耐火、耐震を重視した当時としてはまだ珍しかったコンクリート製の校舎。たまたま、文化祭の 公開日に通り掛かり見学した。建物としては窓や入口、庇などに洒落た意匠が多く見受けられる。保存しておいて欲しい建物だ。



英国大使館
千代田区1番町1
1930年(昭和5年)
英国工務省
歴史はあるが「大英帝国大使館」の建物としては権威や重厚さがあるわけでもなく、さほど興味をひく意匠ではない。この土地の帰属や賃貸料については長い間の懸案であったが、日本側が約8割の土地を英国に譲り渡すということで2013年に決着したらしい。皇居隣の一等地で路線価格として600〜700億円とい うことだから、英国は良いプレゼントを貰うことになる。

東京都復興記念館
墨田区横網2丁目3番25号
1931年(昭和6年)
伊東忠太 佐野利器
関東大震災の被服廠跡の横綱町公園に東京都慰霊堂と共に建築された。慰霊堂が和風のスタイルであるのに対して、こちらは洋風のどっしりとした見せ方をしてい る。入口部分の6本の柱は本来の西洋建築であればギリシャ神殿風の柱になるのだろうが、ここでは角張った独特の形で構成している。屋根の軒下の意匠なども含め、当時の建築の姿をよくとどめている。



高輪消防署
二本榎出張所

港区高輪2丁目6番17号
1933年(昭和8年)
越智操
現在も消防所として使われている。いわゆる様式建築とは異なり、円形を取り入れた意匠がいま見ても新鮮。塔は火の見櫓の役割だった。その下の部分は現在は 消防史の展示室となっているが天井や梁の造詣、階段の手すりなどの造詣が美しい。


旧京成博物館動物園駅
台東区上野公園13
1933年(昭和8年)
中川俊二
黒田記念館の前に佇む、現在は使用されていない駅出入口(ホームは地下にあった)。入口両サイドの柱と一風変わった屋根の構造が趣を添える。当時は随分とハイカラな駅舎だったのだろ う。


日本橋高島屋本店
中央区日本橋2丁目4番1号
1933年(昭和8年)
高橋貞太郎、村野藤吾(増築)
買い物で訪問する人は多いが、その建物には目が行かない。しかし、上を見上げてみたり、離れて見たりすると結構古く、百貨店としては初めて重要文化財に登録 された。外観全体をよくみると最上階のところに小庇?を入れた姿はパリのビル街と一緒の手法であり、見栄えがする(次の明治屋京橋ビルなども同 じ手法)。内部も入口直後の大階段やいまだにエレベータガールが乗務する古い形式のエレベータ、アンモナイトが散見される大理石の階段等見所が多い。


明治屋京橋ビル
中央区京橋二丁目2番8号
1933年(昭和8年)
曾禰中條建築事務所
以前、この場所を歩いたら回りのビルが全部取り壊されていた。この辺一帯が再開発になったらしい。この明治屋ビルも 取り壊されるのかと残念に思ったが、このビルだけは残すそうで安心した。高島屋同様昭和初期のイメージを残す。派手な意匠はないが、上位階層の窓や壁の装 飾(右写真)はそれなりに凝っている。ルネサンス様式といわれているが、イメージ的にはアールデコの意匠が強いような感じを受ける。


 
トイスラー記念館 (トイスラー館)
中央区明石町10-1
1933年(昭和8年)
築地の外国人居留地の中に作られた聖路加国際病院の宣教師館として、病院の創立者トイスラーの名を冠してつくられた。当時は若干離れた場所に建築されたが、1998年(平成10年)にこの場所に修繕・移築された。木造の基礎柱が表に現れ、その間を石やコンクリートで埋めるハーフ・ティンバー式の建物。


近衛師団司令部庁舎
東京国立近代美術館工芸館)
千代田区北の丸公園1
1910年(明治43年)
田村鎮(陸軍技師)
建築様式の要素から見ると中央入り口のゴシックを象徴するポインテッドアーチや建物を外から支えるバットレス、屋根の下に並ぶロマネスクを象徴する波形のロンバルディア帯のような模様などが取り入れられている。現代の目でみると軍事ではなく、宗教やアカデミー的な建物に見える。
 

旧前田家本邸 洋館
目黒区駒場4丁目3−55
駒沢公園内
1929年(昭和4年)
高橋貞太郎(宮内省内匠寮工務課技師)
さすが加賀藩の財力という感じが溢れている。建物は鉄筋コンクリートだが表明にはタイル等貼ってあり、重厚な感じを出している。半円アーチを潰したようなチューダ・アーチの活用が特徴で柔らかみを醸しだしている。内部の装飾柱の柱頭はコリント式を模しているという説明だったが、少しわかりにくい。幾つかの部屋は当時の仕様で再現されている。別設計の和館や広い庭園もあり内外共に見所が多い。
 




皇族朝香宮家邸宅
東京都庭園美術館本館)
港区白金台5丁目21−9
1933年(明治8年)
宮内省内匠寮工務課
暫くリフォームの為閉館されていたが再公開された。建物は特定の様式や構造は持たず、建物を楽しむというよりは室内の床とか暖房器具、照明、階段などのアール・デコ風のデザインを楽しむという感じ。